レンタカーからののアドバイス
「売るモノはなんでも揃えてあるが、売れるモノがないではないか」日産といえばフルラインメーカーであるから品揃えは文句ない。
ついには社内からもそんな不満の声が聞かれるまでになった。
会社全体に無力感が漂うのかはっきりわかった。
すると外部からも無気力な日産を見て、縦割り組織の弊害がもっとも顕著に現れている好事例ではないかと非難の声があがり始めた。
「製・技・販がパラパラで、出てくる商品の多くはまったく市場のニーズを汲んでいないじゃないか。
技術陣がいくら声を大にしていいクルマなんだと胸を張っても、それをユーザーが見向きもしなかったら、それこそ唯我独尊じゃないか。
独り上がりだな」「技術優先というよりも技術偏重ではないのか。
最高レベルのクルマが売れないのは、それを売らない連中に責任があると、販売不振の鉾先を販売部やディーラーーに向けている。
販売部門もしばらくは黙っていたが、こうも量産車の不人気が続くと、もっと売れるクルマを造ってくれと、公然と不満をぶつけるようになった」これらの話は数年まえに専門紙の親しい記者が語ったことばである。
その記者はこんなふうにも言っていた。
「縦割りだからセクショナリズムもある程度は致し方なかろう。
しかし見ていると日産の場合、製・技・販のベクトル合わせが全然できていないんじゃないのか。
技術部門なんか、まるで象牙の塔にこもって、市場のほうへ目が向いていないんじゃなかろうかと、つい疑いたくなるほどだ」手きびしい言い方だが、どちらかというと日産の肩を持ちたがる記者をして、ここまで言わしめたのだから事態は深刻であった。
良いクルマとはどういうクルマか。
自動車は二万点以上のパーツを組み立てて完成する高価な耐久消費財である。
技術の粋を集め、英知を結集し、造る人間の情熱と誇り、そしてデザイナーの感性まで、あらゆるものが一つのコンセプトにまとまっていなくては良いクルマとはいえない。
ユーザーが乗って走ってみたくなる誘惑にかり立てられる魅力を備えていなければいけない。
欲を言えば走行性能、操作性、安全性、乗り心地、経済性、耐久性、信頼性、仕上がり具合い、デザイン、先進技術など、どれ一つとしておそろかにできるものはない。
しかしそこまで望むのは無理だ。
所詮、人間が造り上げる「機械モノ」である。
世界じゅう、どこを探しても完ぺきなクルマなどあるわけはない。
だからメーカー各社は宣伝広告の中で「完ぺき」とか、「完全に」という表現を、本当は使いたいのだろうけれども自粛しているはずだ。
「良い」と「悪い」がまったく区別できないわけではない。
しかし多くのユーザーの側に立って言うなら、競合する他車と比べてみて、そう簡単に良いか悪いかを判断できるはずはない。
大事なことはユーザーが、他と比較して「好き」か「嫌い」かという観点で選んでいることを忘れてはいけない。
たとえとしてふさわしいかどうか、男女のお見合いに似たところがある。
良い相手か、それとも伴侶として不安があるか、それはつき合ってみなければわからない。
クルマなら乗って使ってみなければわかりはしない。
そうなる前に「感じがいい女だ」、あるいは「すてきな人だ」と、相手が胸を躍らせる魅力かおるかどうかが問われるだろう。
日産車の場合も良いクルマを造っているのにちがいないが、残念なことに「好き」と言ってくれるユーザーがしだいに減っていった。
そうなっていくシグナルはもう二十年前、いやもっと前から見えていたはずだが、なにせ伝統と実績のある会社だけに、良いモノは必ず売れるという自分本位の考えが強すぎた。
とくにそれが技術陣に顕著であったというのは自他共に認めている。
日産にもユーザーから「好き」と言われるクルマがなかったわけではない。
マーチはI般の乗用車としては異例の超ロングセラーである。
十年以上も同一モデルで売れ続けるクルマは、国内ではそうザラにはない。
モデル別国内登録ベスト10を見ていただきたい。
九五年には日産はかろうじて二車種が顔を出していたが、二〇〇〇年にはキューブの第八位があるのみとなった。
二〇〇一年になってからはシーマ、プリメーラ、そしてスカイラインと、日産の顔になってもらいたいモデルが矢継ぎ早に新型になっている。
どれも「日産らしさ」があって良いクルマである。
問題は「好きだ」と言ってくれるお客がどれだけいるかだ。
歎難辛苦の「破壊と再生」「いいクルマを造ったから、あとは、売るほうは頼んだよ」さも、そう言わんばかりの形となって現れたのが日産の技・製作販だ、という見方はけっして的外れな見方ではないと思う。
しかしベストセラー・力1の上位をよくよく見ると、べつに日産車が見劣りするわけでもなんでもない。
トヨタにしろホンダにしろ、けっこう没個性の退屈なクルマを造っている。
むしろ並の車種のほうが多いのではないかと思われてならない。
力1・オブーザーイヤーを獲ったセドリックーグロリア連合軍が、なぜクラウンの半分しか売れないのか。
本格的な大衆車時代の先頭をきったサニーが、どうしてカロ土フの半分も売れないのか。
あのケンとメリーの愛のスカイラインは、いったいどうなっているのかと、日産車の売れゆきには今でも気がかりなことが多い。
ここまでくると責任は技術陣だけの問題ではあるまい。
それを数行の文字で片づけてしまうには課題が重すぎる。
一日も早く「売れるクルマを出せ」などと他人は勝手なことを言うが、はたして商品力だけの問題としてすむだろうか。
必ずしもそれだけではすまされないだろう。
傷ついたブランドの復活、ディーラーを含めた営業部門の総合販売力の再生、個々の従業員の自信と誇りなど、元気な日産らしさの回帰にはまだ多くの難問が横たわっている。
「長いあいだ会社の中の風土に慣れてしまった我々には、何を、どうすればよいのかさえわからなくなってしまった」正直にそう打ち明けたのは現会長の塙義一だった。
社内から誰が司令塔に上がろうと、もうどうにもならないのではないかという緊迫したムードが、マスコミ報道を通じて我々にも伝わってきた。
日産はいったんルールとしきたり、既成秩序と風土、組織のあり方から統治の仕方まで、あらゆるものを変えなければ生き残れない事態にまで追いつめられていたのだ。
しかも土俵際ギリギリであった。
それだけに急ぐ必要があった。
手始めとして、まずグループ全体を包み込んでいる古い殼を破壊することが先決であった。
それができる男といえばゴーンしかいないと、ルノーのシュバイツア会長に名指しで頼みこんだ塙の決断と人選はけっして間違ってはいない。
破壊するとは言うが、会社は生きて動いている。
ズタズタに壊すのではなく、破壊からすぐ再生へと結びつけていかなくてはいけない。
「破壊と再生」を言葉で表すといとも簡単であるが、それは内なる人間の手に負えるものではなかった。
体内に日産のDNAを宿している人間では、おそらく誰を当てても中途半端なことで終わってしまっただろう。
ここで異質のカルチャーを受け入れ、激震でもかまわない、たまったマグマを揺すってキャリアショックを起こすしかほかに方法はないと、塙はそういう思いで守旧派の厚い壁を突破したのにちがいない。
そんな塙の期待をゴーンは裏切らなかった。
象徴的な出来事がNRP(日産リバイバループラン)発表の二日前に起こった。
全社に、わけても技術開発部門に激震が走った。
エリートたちのキャリアショック誰が見てもそれはゴーンでなければ決められない人事であった。
時代の変化に対応できるレンタカーの実現に向け、パートナーとして、レンタカーをご用命ください。
書かれているレンタカーの内容を認識した上でレンタカーの価値を批判的に読み解いていくことが必要だと考えています。
選定したレンタカーキーワードに対して、具体的にレンタカーの特徴を表現しました。